もやもやをだらだらと。

弟妹に子供が産まれた昨年。


我が母は、赤ちゃんが好きだ。

今まで、我が子が受けていた愛情が

分散された。


弟妹ともに近居。


妹は実家にべったり。

ご主人に家も建ててもらって、それでもあらゆることが不満らしい。


弟は好きではない。

とにかくマウントを取りたがる。女々しい。気持ち悪い。踏みつけられてる気持ちになる。



祖父母を不在にしてはいけないと思いながら、

すべてと没交渉にしてしまいたい自分がいる。



ひなまつりひとつとっても、こちらには、お菓子が送られてくるが、妹とは、妹宅に行ってケーキを食べたらしい。


弟たちが遊びにきたときは隠す(わたしが弟を嫌いなのを知っているから)


近いのが羨ましくて、

連絡を取る頻度を増やしたところで、

一回会えるのとはまったく違うんだと痛感した。



わたしは、

わたしは、

何度傷付けば学習するんだろう。



もう、母と話しても妹と話しても何も楽しくはないのに。



何度も何度も何度も傷ついて、欲しい欲しいと心の中では思ってる。



我が子にこの思いをさせたくなくて、

一人っ子を選択したのに、

母と妹にしがみついてしまって、我が子を傷付ける。



改めねば。

わたしが大事にしたいのは、なあに?



私が大事にしたいのは、

私が選んだ家族と、

私の人生だよ。



私を産んでくれてありがとう。

さようなら。

わたしを縛るものはなんだ

いまは検索するとなんでも出てくる。


学童クラブに落選した。


春先のコロナ禍で休業できてしまったのが痛手だったようだ。新入生は加点があるけど、それ以降はそこが減点となる。



珍しく3年も同じ職場で働いた。試験も受からなかったけど何度も受けた。


ここで役に立ちたかった。心をゆるしたかった。


落選を伝えた。

いつ手が離れるかなあと苦言を呈され、

割り切れと、あなたより困っている人がいるのだと正論でぶん殴られる。



通園しているときも、進学してからも夫に出してもらわずに自分の微々たるお給料でやってきた。越してきてから2年は夫が相次ぐ出張でワンオペをこなした。



結果このざまだ。



引越しに関与せず生活に関与しなかった夫は宣言下の現在、帰宅は早いが置物。


子は疲労からか暴言を吐くか、どんよりとした空気を身に纏い、YouTubeを見続ける日々。



さらには家から離れることもできずほぼ一年が経とうとしている。



最近、生きてる意味がわからない。


全部放り投げて消え去りたい。



やりたいことがあれば変わるのだろうか。

努力したと自負できる部分があればなにか変わるのだろうか。



良かれと思ってされたであろうアドバイスらしきものにも、もう心の中で悪態をつくか反論するかで素直に受け止めることすらできない。



時間がほしい。ひとりになる時間が。

自分を自分に戻す時間が。



幼馴染とずっと連絡をとっていた。互いにズレた部分で感情移入してしまい、これもだめだった。



ああ、リセットしたい。

離れたい

彼女がされるみたいに褒められたかった。


彼女の配偶者のように思いやりの満ちた人だと自分の配偶者も見られたかった。



わたしも褒められたかった。

感謝されたかった。



彼女は毎日連絡を入れている。

わたしはいれていない。


おもしろい話もできないし、

笑わせることもできないし、

手放しに大好きだということもできないし、

なによりも近くにいないから直接的な手助けができない。



自らの意思でお金を渡してきた。


だけどそのことが自分の首を絞めている気もしてきた。



私が都度渡すお金は間接的に彼女に渡る。

昼を食べさせてもらい、休日は一家で出向き、食事を一緒にとる。




彼女が離れてから、立場が同じになってしまった。もう彼女の愚痴を間接的に聞くこともないだろう。



わたしはあの人にとって必要ではないだろうと思う。

どこにも寄り添えないわたしなど。



あの人は自分の母にされていやだったことを自覚して、認識していない。



全く同じことをわたしはされているような気さえする。



あの人の母より拘束力が強い分厄介だ。



離れなくてはいけないと、頭の中は警告でいっぱい。

頭ではわかっている。距離はあるから時間をあけるのが最善策だと。

でも、これ以上彼女に遅れをとってなるものかと意地になってさらに傷つきにいくんだろう。



あの人もいまわたしと同じ気持ちなんだろう。




もうみたくないよ。



彼のことも彼女のことも羨ましくてたまらない。


よくできたおかあさん

私の母はよくできたおかあさんだと思う。



だから私はだめなおかあさんだと思っていた。

それでいいと思っていたから乳幼児期に自分の子育てが間違っていたとか、特別悩んだことがない。



私の母は赤ちゃんが好きで、我が子はもう赤ちゃんではない。


子は成長するし、それはとても良いことだ。




赤ちゃんが身内にさんにん産まれた。



私の母が我が子を見てくれる時間が減った。

もう相手するのも片手間だ。

昔言っていたからわかっていた。


「しゃべらないときが1番かわいい」


その代わりに私の父が相手をしてくれるようになった。



その姿はわたしが大好きだった祖父と同じだった。

平等主義の祖父なのに、わたしを1番可愛がった。

わたしは、その気持ちを思い出すだけで明日まで生きようと思って生きてる。

美化してるだけかもしれないが。




我が子は祖父が大好きになるだろう。

わたしは母方の祖父母が苦手だ。


母が祖母に似てきたと感じる。



大人になって、私の母はよくできたおかあさんだったけど完璧ではないと知った。

完璧なおかあさんなど存在しないと今でも信じたい。



母への違和感がどんどん膨らんでいく。

父への恨み、憎しみだったであろうものは年を経て理解できるようになり、笑い話にすることでどんどん萎んでいる。



前記事の相手は自分の子に嫌われることを異常に恐れている。

自分が自分の母を大好きだからだと思う。



わたしは我が子がわたしを嫌うならそれでいいと思っている。私を嫌いになれたらそれはまたスタートだと思う。



その時が来たらそれはすごくさみしいかもしれないけど、私の気持ちは変わらないから大丈夫。




親子って1番難しい人間関係。

感情のゴミ箱

大変なのはわかる。近くにいて見てるから負担が大きいのもわかる。

だけど、こっちは遠いから役に立てない。

不安な気持ちはこっちにもあるけど、私はそちらには行けないから、自分をまず立て直そうとしてる。

そこにきて感情のゴミ箱にされるとぐらつく。

ゴミ箱にしてる意識は相手にはない。


ただでさえ、家の購入の話や車のローンなどの話は我が家には遠い話で。すみませんね、貧困層で。という気持ちになる。

立て直そうとしてる途中の今は優しくできない。当たり前にもてるものではないのだと、相手は気付かない。


相手はこんな私にいつだって優しい。

おこがましいことだとはわかってるが、それは無知だからだ。

なにも知らずに誰かがやってくれていた夫婦なのだ。だから、ぴょんと飛び込んで怖くなって這い上がって、やっぱり飛び込んでおけばよかったのかななどとこちらをゴミ箱にする。




相手はいつだって優しい。

相手の配偶者もいつだって優しい。

だけど、それは優しくないわたしとわたしの配偶者を断罪されている気持ちになるんだ。



それでも、わたしたちは他を見なければ幸福で、現状特に大きく困ってはいなくて、なにかしたいなという欲を想像できる程度には余裕があって、なによりも自力で生活をまわしている。



それって、とてつもなく誇っていいことだと常に自分と話し合い。



買いたければ買えばいいし、したければしたらいいじゃないか、決めたらそこに向かって動けばいいだけじゃないかと思ってしまって、また優しくなれずにおやすみなさい。

またかあ

彼が機種変した。

古い携帯が残されていた。


見た。

まだ続いてた。

しかも定期的に彼から連絡してた。


時間帯をみるに、酔って帰宅するときだろう。


LINEは新機種にうつされているから、確認してないけど、携帯をいじる頻度からしてそんなに頻繁に連絡をとってはいないとおもう。



彼から連絡している。

この事実が重い。



わたしでは支えになれなかった。

もう彼が自ら連絡を取りたいのは私ではない。



外に支えがあるのはいいことだ。

わたしだって彼に寄りかかれない。


いつからこうなった。

最初から間違っていたのかもしれないな。


どうしてわたしだったの。

わたしたちは一緒になるべきじゃなかった。



家の中で普通ならいいと思ってた。

現に彼はなにも匂わせたりしていない。

徹底していた。わたしが悪い。


好奇心は身を滅ぼす。



そんなことわかっていたのに。


いいとこどりされている気がする。

疲れたを免罪符にして。

わたしがいけなかったのか。

彼が弱かったのか。



貞操観念がバグっているわたしでも、

一緒になってからやましいこと、疑わしいことはしていない。



彼にとってこれは普通のことなんだろうか。


世の中の夫婦はこういった問題は話し合えるのだろうか。



わたしにはもう、その熱意がない。

彼のために狂うことももうできない。



流していくしかないんだろう。これからは。

そういうものだと。



悲しい。

怒りたいし、狂いたいし、泣いて問い詰めたいのに、

どれも選ぶことができない。



また数年後にはケロっとしているのだろうか。

笑いながら友人に話しているのだろうか。



とりあえず、悲しい気持ちを誰にも話せないから、ここに置いておく。


がんばれわたし。

生きるぞ。明日も笑おう。

様子見

結果をいそいでいたのかもしれない。何者でもない自分が不安だったのもある。

 

それをうまくいっていない(と私は思っている。夫がどう思っているかは知らない)夫婦関係に八つ当たりしていたのだな。

 

変わっていっただけ。お互い。夫が変わってしまったと思うなら、同じだけ私も変わってしまったということだろう。

 

交通事故と夫婦関係はなかなか10:0にはならないからね。

 

 

他所を見て逃げることも考えた。離れることも考えた。でも、今はどれも違う。

 

できることなら、死ぬまでと思った相手との関係にまだ賭けたい。

 

グレーを許そう