また会おうねとは言わなかった

びっくりした出来事があった。

2年ぶりぐらいに連絡をとった。

年賀状のやりとりだけだった。もう個人的には会うことはなかった。

 

いつだか私たちは分たれた。もともと、小中学時代なんてわたしのような田舎者は、寄せ集めだから縁遠くなった人の方が圧倒的に多いなかでまだ連絡先がわかるだけ奇跡だ。

 

ただ、ただ、驚いた。そして心が痛かった。他人事じゃなくて、丁寧に対応してもらったことに礼を述べた。

 

だけど、最後のやりとりにまた会おうねとは書かなかった。

きっと、これは最後のチャンスだったんだ。

機会をくれてありがとう。

 

いくつ、さよーなら、またいつかを繰り返すんだろう。

2025年はいろいろありすぎた。

 

今を生きて、会いたいと思う人には、様々な都合ですぐには会えなくとも、連絡くらいはとるようにしたいなと思った。

いなくなるための準備

ここ数年、断捨離継続中。

 

死にたくなって、

病院に通い始めたのがきっかけで。

 

何度も挑戦した資格試験に受かって、その勢いのまま二つ試験に通り、

ダイエットとともに始めたのが断捨離。

 

MAX13キロ痩せた。

今は5キロくらい戻ってしまったけど。

 

 

あの頃が1番元気だったな。

また落ちてきている。

 

人間いつでも上り調子ではいられない。

 

親が子のものを捨てられないのと同じように、

子も親のものを捨てられないなとふと思って、捨て続けている。

写真なんかは特に、なつかしいなと思うけどもう会わない人の方が多いことを感じた。

 

 

ここ数年で、いろいろ変わった。

下手したら、地元に戻る羽目になるかもしれない可能性まで感じる。

 

そのときわたしはどのくらい身軽でいられるんだろう。

 

 

まだまだ処分できるような気がする。

今年はやりたくないことから降りることができた。中途半端なことして申し訳なかったけど、今までのわたしならイヤイヤ続けてただろうことを降りることができた。

 

 

わたしは今もまだ成長している。

 

子もしっかり成長している。

 

 

だから、大丈夫、

もやもやをだらだらと。

弟妹に子供が産まれた昨年。


我が母は、赤ちゃんが好きだ。

今まで、我が子が受けていた愛情が

分散された。


弟妹ともに近居。


妹は実家にべったり。

ご主人に家も建ててもらって、それでもあらゆることが不満らしい。


弟は好きではない。

とにかくマウントを取りたがる。女々しい。気持ち悪い。踏みつけられてる気持ちになる。



祖父母を不在にしてはいけないと思いながら、

すべてと没交渉にしてしまいたい自分がいる。



ひなまつりひとつとっても、こちらには、お菓子が送られてくるが、妹とは、妹宅に行ってケーキを食べたらしい。


弟たちが遊びにきたときは隠す(わたしが弟を嫌いなのを知っているから)


近いのが羨ましくて、

連絡を取る頻度を増やしたところで、

一回会えるのとはまったく違うんだと痛感した。



わたしは、

わたしは、

何度傷付けば学習するんだろう。



もう、母と話しても妹と話しても何も楽しくはないのに。



何度も何度も何度も傷ついて、欲しい欲しいと心の中では思ってる。



我が子にこの思いをさせたくなくて、

一人っ子を選択したのに、

母と妹にしがみついてしまって、我が子を傷付ける。



改めねば。

わたしが大事にしたいのは、なあに?



私が大事にしたいのは、

私が選んだ家族と、

私の人生だよ。



私を産んでくれてありがとう。

さようなら。

わたしを縛るものはなんだ

いまは検索するとなんでも出てくる。


学童クラブに落選した。


春先のコロナ禍で休業できてしまったのが痛手だったようだ。新入生は加点があるけど、それ以降はそこが減点となる。



珍しく3年も同じ職場で働いた。試験も受からなかったけど何度も受けた。


ここで役に立ちたかった。心をゆるしたかった。


落選を伝えた。

いつ手が離れるかなあと苦言を呈され、

割り切れと、あなたより困っている人がいるのだと正論でぶん殴られる。



通園しているときも、進学してからも夫に出してもらわずに自分の微々たるお給料でやってきた。越してきてから2年は夫が相次ぐ出張でワンオペをこなした。



結果このざまだ。



引越しに関与せず生活に関与しなかった夫は宣言下の現在、帰宅は早いが置物。


子は疲労からか暴言を吐くか、どんよりとした空気を身に纏い、YouTubeを見続ける日々。



さらには家から離れることもできずほぼ一年が経とうとしている。



最近、生きてる意味がわからない。


全部放り投げて消え去りたい。



やりたいことがあれば変わるのだろうか。

努力したと自負できる部分があればなにか変わるのだろうか。



良かれと思ってされたであろうアドバイスらしきものにも、もう心の中で悪態をつくか反論するかで素直に受け止めることすらできない。



時間がほしい。ひとりになる時間が。

自分を自分に戻す時間が。



幼馴染とずっと連絡をとっていた。互いにズレた部分で感情移入してしまい、これもだめだった。



ああ、リセットしたい。

離れたい

彼女がされるみたいに褒められたかった。


彼女の配偶者のように思いやりの満ちた人だと自分の配偶者も見られたかった。



わたしも褒められたかった。

感謝されたかった。



彼女は毎日連絡を入れている。

わたしはいれていない。


おもしろい話もできないし、

笑わせることもできないし、

手放しに大好きだということもできないし、

なによりも近くにいないから直接的な手助けができない。



自らの意思でお金を渡してきた。


だけどそのことが自分の首を絞めている気もしてきた。



私が都度渡すお金は間接的に彼女に渡る。

昼を食べさせてもらい、休日は一家で出向き、食事を一緒にとる。




彼女が離れてから、立場が同じになってしまった。もう彼女の愚痴を間接的に聞くこともないだろう。



わたしはあの人にとって必要ではないだろうと思う。

どこにも寄り添えないわたしなど。



あの人は自分の母にされていやだったことを自覚して、認識していない。



全く同じことをわたしはされているような気さえする。



あの人の母より拘束力が強い分厄介だ。



離れなくてはいけないと、頭の中は警告でいっぱい。

頭ではわかっている。距離はあるから時間をあけるのが最善策だと。

でも、これ以上彼女に遅れをとってなるものかと意地になってさらに傷つきにいくんだろう。



あの人もいまわたしと同じ気持ちなんだろう。




もうみたくないよ。



彼のことも彼女のことも羨ましくてたまらない。


よくできたおかあさん

私の母はよくできたおかあさんだと思う。



だから私はだめなおかあさんだと思っていた。

それでいいと思っていたから乳幼児期に自分の子育てが間違っていたとか、特別悩んだことがない。



私の母は赤ちゃんが好きで、我が子はもう赤ちゃんではない。


子は成長するし、それはとても良いことだ。




赤ちゃんが身内にさんにん産まれた。



私の母が我が子を見てくれる時間が減った。

もう相手するのも片手間だ。

昔言っていたからわかっていた。


「しゃべらないときが1番かわいい」


その代わりに私の父が相手をしてくれるようになった。



その姿はわたしが大好きだった祖父と同じだった。

平等主義の祖父なのに、わたしを1番可愛がった。

わたしは、その気持ちを思い出すだけで明日まで生きようと思って生きてる。

美化してるだけかもしれないが。




我が子は祖父が大好きになるだろう。

わたしは母方の祖父母が苦手だ。


母が祖母に似てきたと感じる。



大人になって、私の母はよくできたおかあさんだったけど完璧ではないと知った。

完璧なおかあさんなど存在しないと今でも信じたい。



母への違和感がどんどん膨らんでいく。

父への恨み、憎しみだったであろうものは年を経て理解できるようになり、笑い話にすることでどんどん萎んでいる。



前記事の相手は自分の子に嫌われることを異常に恐れている。

自分が自分の母を大好きだからだと思う。



わたしは我が子がわたしを嫌うならそれでいいと思っている。私を嫌いになれたらそれはまたスタートだと思う。



その時が来たらそれはすごくさみしいかもしれないけど、私の気持ちは変わらないから大丈夫。




親子って1番難しい人間関係。

感情のゴミ箱

大変なのはわかる。近くにいて見てるから負担が大きいのもわかる。

だけど、こっちは遠いから役に立てない。

不安な気持ちはこっちにもあるけど、私はそちらには行けないから、自分をまず立て直そうとしてる。

そこにきて感情のゴミ箱にされるとぐらつく。

ゴミ箱にしてる意識は相手にはない。


ただでさえ、家の購入の話や車のローンなどの話は我が家には遠い話で。すみませんね、貧困層で。という気持ちになる。

立て直そうとしてる途中の今は優しくできない。当たり前にもてるものではないのだと、相手は気付かない。


相手はこんな私にいつだって優しい。

おこがましいことだとはわかってるが、それは無知だからだ。

なにも知らずに誰かがやってくれていた夫婦なのだ。だから、ぴょんと飛び込んで怖くなって這い上がって、やっぱり飛び込んでおけばよかったのかななどとこちらをゴミ箱にする。




相手はいつだって優しい。

相手の配偶者もいつだって優しい。

だけど、それは優しくないわたしとわたしの配偶者を断罪されている気持ちになるんだ。



それでも、わたしたちは他を見なければ幸福で、現状特に大きく困ってはいなくて、なにかしたいなという欲を想像できる程度には余裕があって、なによりも自力で生活をまわしている。



それって、とてつもなく誇っていいことだと常に自分と話し合い。



買いたければ買えばいいし、したければしたらいいじゃないか、決めたらそこに向かって動けばいいだけじゃないかと思ってしまって、また優しくなれずにおやすみなさい。