感情のゴミ箱
大変なのはわかる。近くにいて見てるから負担が大きいのもわかる。
だけど、こっちは遠いから役に立てない。
不安な気持ちはこっちにもあるけど、私はそちらには行けないから、自分をまず立て直そうとしてる。
そこにきて感情のゴミ箱にされるとぐらつく。
ゴミ箱にしてる意識は相手にはない。
ただでさえ、家の購入の話や車のローンなどの話は我が家には遠い話で。すみませんね、貧困層で。という気持ちになる。
立て直そうとしてる途中の今は優しくできない。当たり前にもてるものではないのだと、相手は気付かない。
相手はこんな私にいつだって優しい。
おこがましいことだとはわかってるが、それは無知だからだ。
なにも知らずに誰かがやってくれていた夫婦なのだ。だから、ぴょんと飛び込んで怖くなって這い上がって、やっぱり飛び込んでおけばよかったのかななどとこちらをゴミ箱にする。
相手はいつだって優しい。
相手の配偶者もいつだって優しい。
だけど、それは優しくないわたしとわたしの配偶者を断罪されている気持ちになるんだ。
それでも、わたしたちは他を見なければ幸福で、現状特に大きく困ってはいなくて、なにかしたいなという欲を想像できる程度には余裕があって、なによりも自力で生活をまわしている。
それって、とてつもなく誇っていいことだと常に自分と話し合い。
買いたければ買えばいいし、したければしたらいいじゃないか、決めたらそこに向かって動けばいいだけじゃないかと思ってしまって、また優しくなれずにおやすみなさい。