夫はなにも言わなかったけど、少し苦い顔をした。
長々とセックスレスに悩み、2人目ラッシュの中、2人目を諦めきれず、少しだけ夫に話をしてみたものの、特に返答があるわけでもなく、都合が悪いと帰ってこなくなる癖は治らず、日々悶々としていた私です。
近々退職するにあたって、いろんな人からさみしいと言われるのは嬉しい。それが嘘でもお世辞でも、とても嬉しい。居ても居なくてもいいような仕事で、子の体調や別用や帰省の休暇申請もふたつ返事でOKなゆるゆるのとってもいい仕事。
私が望んだ通りの働き方だった。
わたしは、いつも望んだ通りの働き方ができていた。いつでも。
働き方は望んだ通りにいくのに、なぜ2人目をもてない?なぜ夫婦関係はうまくいかない?
長々と悩んでいたけれど、キスを拒否されることはなくなった。向こうから触られることはまだない。
わからないけど、本当に2人目が欲しいのかもわからなくて、ただ、周りが次々と妊娠出産していくのが羨ましかった。それは、こどものときの、みんなが持ってるからほしいーの気持ちと近いような気がしてた。
会話ができるようになって、喋るのが楽しくなった我が子に聞いてみた。赤ちゃん欲しい?と。
答えは、「えー、いらない。」だった。
少しだけ悩みが晴れた気がした。
季節の変わり目
意地悪な気持ちで近況を伝える。
だって。うらやましいんだもの。
こんな経験しなくていいんでしょう。
つらいけど
つらさを貯金
それを使って、幸せになるの。
他人をすごいと思いすぎる
小学校の頃、クラスのみんなの良いところ探しをしましょう。というのがあった。私は、あれがいまでも得意。付き合いがある人たちのいいところは余すところなく言えると思っている。思っているだけだけど、少なくとも、私はそう感じている。本人はそう思ってなかったり、自分に満足していないような反応をされることも多いけど、やはり私からみたらそれは良いところだ。
だけど、違和感もある。他人の良いところを探すのも見つけるのもできるけど、自分のいいところがさっぱり見つからない。他人に伝えたところで、他人も同じように私のいいところを探してはくれないし、評価もしてくれないし。
よって、他人をすごいと思いすぎる癖がついた。1番身近な他人の夫をすごいと思いすぎるところもある。私たちが対等だった頃があったのだろうかとも思うほどに。
もちろん、夫婦間で尊敬し合えるのが理想だけど、夫をすごいと思いすぎて、自分のいいところがみつからないから、夫にバカにされているのだろうなと被害妄想じみたことを考えることも多い。
夫に私を褒めろと申し出る日もあるけど、まあそれが私の満足を引き出せることは皆無。
だったら自分で自分のことを満足させてあげたりするのが1番だというところに辿り着くのだけど、私が自分に満足、というか、自分の機嫌をとれるのはいつなんだろうか。なにをしているときなのだろうか。
自己肯定感という単語がポピュラーになり、それを考えていたときに、マズローからアドラーまで文献を読んでみたりしたけれど、腑に落ちたり落ちなかったり。
まだ若いからと言われても、若いからやらなきゃいけないことってあるよね。
日常に忙殺されすぎず、自分を大切にする方法。
そんなものは自分で見つけなきゃいけないのだろうけど、難しいのだなあ。
他人をすごいと思い、こんなにすごい人たちといるんだから、いつか自分もそうなれるはずと思っていた時期もあったけれど、人生とは行動力だから、きちんと、捨てなくてはね。
すごいと思いすぎる癖、これは念頭に置いておくことにする。大したことないじゃん。とまで思わなくてもいいからさ。
失敗するのが怖くなった。
見ず知らずの土地にきて、数年。それなりに知り合いも増えて、友達は増えたり減ったり。減ったりっていうのは親しくしてくれていた友達も同じように移動のある方が多くて、結構先に出てしまった。
寂しいなと思うけど日々に追われているので学生時代のように寂しさに食べ尽くされて意味のわからない行動を取ることがなくなった。
あの頃は寂しさを埋めるために、なんでもありだったから。
こどもがいる今、そういう意味のわからない行動をとることがなくなった。ちょっとブレても、日々をこなすことに精一杯。精一杯すぎて、失敗するのが怖くなったし、ルーティンを外れたことをするのが億劫になった。
失敗すると、リカバーに時間がかかるようになったことと、こどもへの罪悪感が半端無いことと、ルーティンを外れることでそのあとの時間の使い方の帳尻合わせが億劫なことが挙げられる。
突き詰めれば
なんでもかんでも
めんどくさい。
こんなんじゃいけないなあと思うのに、なんでもめんどくさいなんて困ったものね。来年度からの生活が不安しかないけど、1秒でも多く笑ってられますように。
恥をかいていくこと。
2017年の目標は恥をかいていくこと。もうすぐ環境がかわる。四年前と同じ過ちは繰り返したくない。
恥かいて、泣いて、怒って、開き直って、悔しがって、
でも、
諦めないで、投げやりにならないで
過ごすこと。
がんばろうね。わたし。
こわい世の中
なんで世の中こんなにすごいひとばっかりなの。ママさんたちだよ?みんな。子供の世話して自分小綺麗にして、家の中も綺麗で仕事して、家事こなして、さらに勉強して。
どーやって生きてるんだろう。そして、わたしはこのままでいいのだろうか。
偏屈だからそんなすごい人たちに、ママさんってだけですごいのよ!って言われても、
いやいや、あなたたちの足の爪の先にもなれません。
ってなる•••。
世の中にはこういったママさんが普通なの?それともこの人たちはべつにマイノリティなだけでぐうたら主婦は隠れてるの?
主婦とかママってキラキラしてなきゃいけないの?そうだとしたら、わたしめちゃくちゃ汚物なんですけど。
こわいこわい。なにからも求められないけど、なににもなれないこわさ。
なにかになれるなんておこがましいか(笑)
原点回帰
実家に帰省中。帰る前は、友達に会えることに期待を膨らませて、にやけるほどに楽しみにしてた。
こどもを預けて遊びに行けるかも!なんて考えてた。
そんなに甘くなかった。
遊びに行こうかなー
と一言言えば
行かんでいいわ。
の一言がぶすっと刺さる。
普段見知らぬ土地で、1人で家事育児パートしてるんだしたまには遊びたいよね。なんて優しさをうちの親が持ってるわけもなく。
夜中にビールを飲みながら、よくもまあこんなとこで20うん年生きてきたなあと感じるわけです。
家を出てよかった。
いまの居住地に不満も寂しさもあるけれど、実家に戻りたいと思わないのは
やはり、出てよかったんだろうということ。
母からの風当たりがどんどん強くなっている。母から後悔の念や、羨望や僻みを感じることが増えた。
あそこは一人っ子だから。
よく聞くようになった。わたしは生まれちゃいけなかったの?なんて考えるほどこどもじゃない。
年をとって、不安も増したんだろうとわかる。
だからこそ、こどもは大事にしつつ、好きなこと楽しいことを無くしてはいけないなと感じる。
人生はバランス。
おとなになったら、母とは距離を置かなくてはいけないね。
わたしは、いまの妹が羨ましい。それは、妹の年齢のときが1番楽しかったからだと思う。
自分が楽しくないと、後世を潰しにかかる。
母は無意識のうちに娘と比較してしまうんだろう。妹をディスるのも、妹には負けられない?というなにかがあるのだろう。
わたしは小学校のとき肥満児だったのでよく言われていた。
おかあさん、小学生のときはそんなんじゃなかったよー。
わたしは自分語りしがちだから、なんでも自分語りにもっていってしまわないように、訓練していきたいところです。