原点回帰
実家に帰省中。帰る前は、友達に会えることに期待を膨らませて、にやけるほどに楽しみにしてた。
こどもを預けて遊びに行けるかも!なんて考えてた。
そんなに甘くなかった。
遊びに行こうかなー
と一言言えば
行かんでいいわ。
の一言がぶすっと刺さる。
普段見知らぬ土地で、1人で家事育児パートしてるんだしたまには遊びたいよね。なんて優しさをうちの親が持ってるわけもなく。
夜中にビールを飲みながら、よくもまあこんなとこで20うん年生きてきたなあと感じるわけです。
家を出てよかった。
いまの居住地に不満も寂しさもあるけれど、実家に戻りたいと思わないのは
やはり、出てよかったんだろうということ。
母からの風当たりがどんどん強くなっている。母から後悔の念や、羨望や僻みを感じることが増えた。
あそこは一人っ子だから。
よく聞くようになった。わたしは生まれちゃいけなかったの?なんて考えるほどこどもじゃない。
年をとって、不安も増したんだろうとわかる。
だからこそ、こどもは大事にしつつ、好きなこと楽しいことを無くしてはいけないなと感じる。
人生はバランス。
おとなになったら、母とは距離を置かなくてはいけないね。
わたしは、いまの妹が羨ましい。それは、妹の年齢のときが1番楽しかったからだと思う。
自分が楽しくないと、後世を潰しにかかる。
母は無意識のうちに娘と比較してしまうんだろう。妹をディスるのも、妹には負けられない?というなにかがあるのだろう。
わたしは小学校のとき肥満児だったのでよく言われていた。
おかあさん、小学生のときはそんなんじゃなかったよー。
わたしは自分語りしがちだから、なんでも自分語りにもっていってしまわないように、訓練していきたいところです。
もういいかな、がんばらなくて
慣れない土地でがんばった。誰も褒めてくれないから褒めてあげるね。
仕事辞めたこと、結婚したこと、あのとき別れなかったこと、たくさんたくさん後悔したよ。でも、もういいよね。全部さようならして、いいよね。
明日から急に前向きになれるわけじゃないけど、ひとつずつ諦めていけるようにがんばるね。
だって、私たちは他人。
だからあなたが誰となにしてても、もういいよ。
だから私も私のしたいようにするよ。
個人でやりましょう。
来世では絶対に関わらないで。来世では、絶対に出会わないで。
来世の私は、私の人生の主導権を私にもたせてあげたいの。
もう、あなたのためにがんばれない。がんばりたくない。
わたしは心が狭くて根性が悪いから見返りを期待してしまう。いつもあなたの理解の無さにがっかりしてきた。
もう、がんばらなくていいよね。
あなたも、もう、好きにしな。
眠るのがこわい
眠るのがこわい。
怖い夢ばかりみるし
あっというまに朝が来てしまうし
夫は帰ってこないし
また1日が始まってしまう
また起きてしまった。
自分の価値の話
先日、twitterでみかけたひとつのことばに救われた。アイデンティティが相変わらず迷子なわたしに響いた。
ママ友が苦手なのもなんとなくつかめた。いま、わたしに寄ってきているママ友は、むかーしむかし、わたしが今よりも身軽だった頃に、好きな人がいて2番目をしていたときに
「彼女がいる人となんてやめなよ!自分の価値下がるよ!」
と言った子にそっくりなのでした。
当時のわたしは、価値ってそんなことで下がるの?と思っていましたが、今のわたしもそんなことで下がるの?と思ってしまうあたり成長しなかったようです。
自分の正義を正しくもち、その正義に則って、他人を導こうとする発言。うん、美しい。だけど、昔もいまもわたしには必要のない美しさだったようです。
わたしにはわたしの価値観があり、他人には他人の価値観がある、と、それだけの話で。
価値観は人それぞれだし、自分の価値に対する見方も人それぞれというだけのお話でした。
これに気付いて、悩んで、こう思えるようになったのは、夫のおかげでした。結婚しなきゃよかったと、今でも思うけど、わたしの人生の中で1番いい男は夫だとも、今でも思うので、やはりこの後悔はわたしの責任の処するところということですねー。
自分の価値を自分で決めて貫き通せるようになりたい。
ママ友ってなんだろう。
私は偏屈でへそ曲がりで懐疑的で根性が悪いので(この前置きで許されたい)、ママ友が苦手です。ママ友は平気だけど、友達として時間を共有できない。いや、わからない出会ってきた人との相性が悪かっただけなのかもしれない。はたまた、いまは転勤で見ず知らずだった土地にいるから、土地の関係とかで相性が悪かったのかもしれない。
こどもを産んでみてわかったこと。こどもはかわいい。自分のこどもは特にかわいい。しんどくて、いらいらして、めんどくさくて、うるさくて、私の罪悪感をそれはもう掘り起こして掘り起こして温泉湧くだろってくらい掘り起こすけど、かわいいです。
わたしは婚前、こどもを好きだと思ってた。扱い方がわからないから、積極的になにかということはなかったけど、かわいいし素直だし、好きだと思ってた。
これがまたびっくり。自分のこどもをみてみると、自分のこどもが1番!なのはみんな同じとして。個人対個人の友人のこどもはかわいい。成長も楽しみ。だけど、こどもありきで知り合った人たちのこどもの成長がめちゃくちゃたるい。こんなことができるようになったんだよお〜〜と日々くる連絡。つらかった。大切なしつけなんだと思うけど胸が痛いです。知らんがな。
なんでみんな自分の子供の成長を身内以外に話せるのでしょうか。いや、見ず知らずの人ならいい。自分が見てる人だったり。それは、わたしの個人というかパーソナルスペース内で起こってることだと思うから。でも対面して、共通項はこどもが同じ保育園とかそのくらいで、そこまで知らなきゃダメですか?
わたし、比べちゃうから他所のこと知りたくないんですけど。
知らなきゃ比べないから、知りたくない。昔はなんでも知りたかったけど、今は自分の手がとどく範囲のことしか知らなくていい。
人間関係っていくつになっても難しい。
アイデンティティ迷子
結婚して、名字が変わって、アイデンティティまで変化してしまった。結婚してすぐに妊娠し、さらに転勤で知らない土地なんかに行ったもんだから、さらにアイデンティティ迷子。
子供を保育園に預けて働き始めて一年経ちました。最近やっと、なにかが掴めそうというかなにかに触れたかんじがする。
ふっきれる兆しのような、だけど、まだ結婚前の自分のようにはいかないあやふやな、なにか。
兆しに触れられそうになってから、夫を憎く思う時間が増えた。これは思春期や反抗期のようなものなのだろうか。変化しなくていい、身近な人間に対する気持ちなのだろうか。
本物の思春期よりも視野は広いはずだからその辺りは楽だけど、夫を憎く思う気持ちはしんどいな。親じゃないから甘えたらその分離れてしまう。
わたしは悔しい。
本当はあの、大好きだった仕事を大好きだった場所で続けたかった。
夫にずっと嫉妬している。